期待をされるということ
娘の身体測定の結果を見ながら「スクスクと育って欲しいなあ」なんてことを考えていたら、知らず知らずに娘にいろんな期待をかけている自分に気がつきました。
どんな期待をしてるのかは秘密ですが、今日は「期待をされるということ」について書きます。
期待は他人からされるものですが、うまく付き合っていくことが必要ですね、という話です。
期待されている自分と、なりたい自分
中学生の時、担任の先生から「お前、学級委員やれ」と言われて、猛反発をしたことがあります。
このように、期待されている自分と、自分がなりたいと思っている自分は異なることがしばしばあります。
こういうことはあるもんだ、と意識しておくとあまりストレスを感じなくて済むと思います。
期待をされることはありがたいこと
先に挙げた例もそうですが、周りから何かしらの期待をされるということ自体はありがたいことだと思います。
逆にまったく期待されてないんだ、と感じてしまうのはちょっと不幸なんじゃないかと思います。この辺りは子どもを育てる上で気をつけなくてはいけないことでしょう。
その期待、何に対する期待?
「期待をされている」と感じても、実はそれは自分自身への期待というよりも、自分の役割に対する期待かもしれません。
例えば、会社組織において部長や部下が課長にかける期待には、課長という役割に対する期待があるということです。ところが、期待をする側にはそのような意識はありません。
それに対して、期待をされる側は「何に対する期待なのか?」を自分なりに区別しておいた方がよいと思います。(そのためにはまず、自身の役割を理解しておくことが必要ですが)
役割として期待されていることを自分自身への期待と受け取ってしまうと、はじめに書いたような「なりたい自分」とのギャップを大きく感じてしまうことになる可能性があります。こうなるとかなり強いストレスを感じてしまうかもしれません。
期待をされるということ
いろいろと書いてきましたが、期待は自分の意図とはあまり関係なく他人が勝手にするものであって、ありがたいものではあるけれど、実は自分自身への期待だけじゃなくて自分の役割(これもしばしば自分の意図とは関係なく決められる)などへの期待も含まれている、ということを知っておく方がいいですよ、ということです。これを知っておくだけでも心にちょっとした余裕ができると思います。
おまけ
特に会社勤めの人は、自分の役割への期待に対して応えることが高評価につながることが多い、ということを意識して仕事をするといいのではないかと思います。
上司の言う「あなたのために」は「○○としてのあなたのために」という意味だと受け取っておいた方がいいかもしれません。もちろん、懇意な関係であれば違うのかもしれませんが。
編集後記
今回は「期待されるということ」について書きました。書き始めてからいろいろと考えることが増えてきてしまって長くなってしまいました。
過度の期待は禁物だと思いますが、期待なくして成長はないと思います。期待されていることを冷静に捉えて対応していくことがコツのような気がします。入社して数年で辞めてしまう若い人たちには、会社を辞める前に期待について考えて欲しいと思います。(偉そうなこと言ってすいません)